大嶺 保

(OVER THE STRIPES/Enhance Element designer) Interview

 OVER THE STRIPES/Enhance Element official site : http://www.otsgrmm.com/



昨年末からPROVEN店頭のみでプレ・スタートした2ブランド「OVER THE STRIPES:オーバー ザ ストライプス」「Enhance Element:エンハンス エレメント」ですが、1月下旬に入荷した「2017 S.S COLLECTION」からオンラインストアを含め正式なスタートとなりました。

そんな2ブランドのデザイナーである<大嶺 保>さんに少しお話を聞かせて貰いました。

コレクションと一緒に、コチラもお楽しみ下さいませ。



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大嶺 保(OVER THE STRIPES/Enhance Element designer)Interview
Interviewer 遠藤 博美(SIDEMILITIAinc.代表)



● 今季から一緒にお仕事をさせて貰える事を嬉しく思います。既にプレスタート分のアイテムも好評で、県内の方からも問い合せを頂いています。

1999年には「Over The Stripes 大嶺保のお仕事」など本も以前に出版されておりましたが、インタビュー自体、近年は余り受けてないとは思います。気軽な感じで宜しくお願い致します。





以前に自社のカタログでゲストの方との対談という形式では有りましたが、インタビューは久しぶりになりますね。

昨年、遠藤さんからお話しを頂き、直接お会いして直ぐに意気投合し、トントン拍子に「プレ」が始まったという印象です。

プレもそうですが、「2017:春夏」の立ち上がりも好評を頂いている様で、ここまでスムーズに進んでいく事自体稀なので、今後がとても楽しみです!







● 先ずは物心ついた時に、最も印象深い自分で選んだ洋服って覚えてますか?

トップスだったのか?パンツだったのか?タイプ/デザイン/カラー含めて。

因に僕は小学校4年生でしたが。





幼稚園と小学1年生の正月の家族写真で「同じ絞り柄のシャツ」を着ており、高校生の時『何故、そんな変なシャツを毎年着せていたのか?』と親に聞くと、

どうも私のお気に入りで、『どうしても着たい!』と譲らなかったらしく、小2の時は流石にパツパツで断念したそうです(笑)

その後もこだわりは強く、小学4年生の時で「スリーピースのベスト」を欲しがりましたが(記憶ではツイストの世良公則がカッコよくて)母が買ってきたのはニットのベストでした。

それに怒り、一緒に探しに行ってなんとか見つけましが、子供用の細いネクタイは存在しなかったので、祖父のネクタイを自力で細くリメイクして着てましたね。

※世良公則&ツイスト…1970年代に活動したバンド。世良さんは後に俳優としても有名になりました。僕は世代的に知ってる程度ですが、当時から現在まで強い影響力を受けたと著有名人から発言が絶えないので、僕もいつか検証する予定。イメージで云えば「沢田研二」さんは日本での「DAVID BOWIE」的存在で、世良公則さんは「ROD STEWART」的存在なのかな?と思ってます。







● 基本的に誰だって洋服に夢中になる時期。それを世間では「思春期」と云いますが、本格的に周りの友人よりも想いが強いんじゃないかって思ったのは何時位ですか?

その頃の強い影響って何が有りますか?僕は逆にブランドってよりも映画や音楽で洋服の影響を受けてたと思いますが。

大嶺さんも音楽の影響を大きく受けてると思いますが。





中学生になってからは、親の買ってきた服は着なかったので、買ってもらえなくなり(笑)お小遣いを貯めて買ってましたね。

子供の頃からかなりミーハーでした。幼稚園で「フィンガー5」のアキラのサングラスを欲しがったり、その後のツイストだったり(笑)古い話ばかりですみません。

1番の衝撃だったのが、中学の時に幼馴染みの友達に久しぶりに会った時、私は坊主頭で、幼馴染みは長髪でした。

本当は私も長髪の予定だったのが、転校して丸坊主になり、今でこそ坊主はオシャレですが、
私は嫌で、長髪運動を起こし学校で問題になって生徒指導室でこっぴどく絞られました(笑)

話は逸れましたが、その幼馴染みが『ブティックに行こう』と連れていかれたのが「COMME des GARÇONS」でした。

読み方も分からず戸惑っていましたが、その頃のギャルソンは「ボロルックの時代」で、穴の開いたタンクトップが(私には、ボロボロのランニングにしか見えず)8,000円以上していて……とてもショックで、この時の衝撃が無かったらこの道に進んで無かったと思います。

未だに憧れですね。







● ブランドをスタートする前には、洋服に関わったお仕事をしていたと思いますが、その頃のモチベーションって何だったんですか?

やはり『自分でブランドを立ち上げるぞっ』て気持ちでしたか?

僕自身も長く洋服関連の仕事しておりますが、未だにブランドを立ち上げるって気持ちが強いか?と問われたら違います。

今でも勿論、各ブランドのお手伝いや実際に作品を手掛ける事も有りますが、やはり気持ちは提供する事が一番好きだったりします。





幼い頃から絵を描く事が好きで、絵描きになりたいと思っていました。その後の夢はイラストレーターに変わりましたが、デザイナーになりたいとは全く思っていなかったです。

ただ、今はTシャツなどの手描きのグラフィックは私が描いているので、そこは夢が叶っていますね。

高校を卒業してからの進路に悩んでいると、母から『洋服がそんなに好きなんだから、デザイナーになれば』の一言で服飾の専門学校に行く事になりました。

専門学校の先生からは『1番好きなブランドには行かない方が良い。挫折した時に目標が無くなってしまうから』とアドバイスがあり、ギャルソンの事は考えない様にしました。

ただ、唯一プロパーで買っていた好きなブランドがあり、その会社に入れたので、骨を埋めるつもりでいました。

中堅クラスの会社だったので、原材料からオリジナルで作る事が出来る規模でした。
入社時から直属の上司がおらず、ニットとカットソーの企画、生地の開発、パターン、生産まで一人でこなしていたので、やりがいはありましたね。

しかし、ブランドの方向性が変わり、段々作りたい物では無くなって行き、その時期に自分の着たいTシャツを自分の為に作る事が楽しくなり…。

会社に属していた時は、3ヶ月に1回展示会があり、1回に100型程を進行しながら前回の現物の商品も進めていました。
そうなると、重なっている期間があり、実質新型は1ヶ月で100型同時進行しなくてはならず、一つの商品に対しての思い入れも薄くなっていました。

それに比べて、自分の着たい服を1型作るのに集中出来る事が楽しくてしょうがなく、気持ちとしては「独立したい」が先ではなく「作りたい」が先でした。
自分1人ならなんとかなるかな?とかなり楽観的でした。実際、明け方まで家でずっとプリントしてましたね、ビール飲みながら(笑)

展示会に疑問を感じていたので、ファーストシーズンは、1型デザインして、お店の方に見てもらい、オーダーを貰い、作って納品、そこでまたデザインして。その繰り返しをしていました。

出来れば、ずっと一人でやっていきたかったのですが、いざやってみると、一日中請求書を書いていたり、何をやっているか分からなくなって、無理でしたね。







● 1996年にパターン含めて全て自ら一人で手掛け「OVER THE STRIPES」をスタートさせました。

一般的に「ハンドメイド」で展開していた事になります。もし1996年では無く、2017年だったとしても、同じ様にスタートしたと思いますか?





時代やタイミングもあるのでイメージが出来ませんが、自分用になんらか作っていると思います。






● あの当時、私自身のお店で取り扱ってなくともブランドが話題になっていく工程は凄い記憶に残ってます。

時代的にもそうですが、実際に東京でブランド展開していたお店「MADE IN THE WOLRD」は「裏原宿」と呼ばれるストリートに有りましたし、あのシーンは今では想像出来ない程の巨大なブームでした。

未だにその流れはちゃんと有ると思いますが、当事者としてどういう状況だったと振り返りますか?

展開する店舗が有れど、其処までOVER THE STRIPESが属していたってイメージは有りませんが。それでも影響は大きかった筈です。





以前勤めていたブランドの、群馬の取引先のスタッフの方が独立して、セレクトショップを始め、その方が「GREMLiNS」のコレクターで、私のグレムリン・コレクションを見に遊びに来たところ、たまたま私の着ていた服を気に入ってもらい、取り扱いたいとの話になり、スタートする事になりました。

2店舗目の取り扱い先は、勤めていたブランドの直営店の店長が、個人的にOVER THE STRIPESのTシャツを着ていたところ、彼の友人のセレクトショップのオーナーさんの目に留まり、紹介して貰いました。

その後、雑誌でも取り扱って貰える様になりましたが、「東京にお店がないと掲載出来ない」と云う事が起き、困っていたところ、たまたま友人が「MADE IN THE WOLRD」のオーナーさんと知り合いで、その場で電話して貰うと『明日、商品見れますか?』となりました。

翌日、Tシャツ、スウェット、スタジャン、ダッフルコートなどをお店に持って行くと『気に入ったので、今、お店に並べてみませんか?』と、とんとん拍子で。
自宅に帰ると電話が鳴り『売れましたよ!』と、早速追加が有りました。

Tシャツに関しては、その3店舗分を刷る事が限界で、問い合わせの窓口を「MADE IN THE WOLRD」さんにお願いしていたので、新規のお店さんは全て断っていました。

「MADE IN THE WOLRD」さんからは『1週間ちょっとで完売させたい。2週間目に行くと無くなっていて、ある時に買わなきゃという数量で進めましょう』との事でしたが、何枚刷っても、1週間もたない感じでした(笑)今思うと異常でしたね。







● やはり「OVER THE STRIPES」と云えば1984年に公開した映画「GREMLiN:グレムリン」を連想する方も多いと思います。

実際にアレだけの知名度で未だにリバイバルしてない最後の大物キャラって感じもしますが、何故にあの映画だったのですか?

以前から「STARWARS」以上に何か惹き付けるものを感じていたのですか?僕は「MADMAX:マッドマックス」と「ALIEN:エイリアン」でしたが。

もう一つ重大な質問を。数年前から噂になっている「最新作」は本当に公開されると思いますか?それこそ「MADMAX」も同じでしたが。





沖縄生まれですが、当時娯楽的な事は「海/ボウリング/映画」みたいな感じで、小さい頃から映画館には良く行ってました。

衝撃だったのは、小4の時に観た「JAWS」で、最後のシーンでは映画館中拍手が起きる程で、これが最初のスピルバーグ(監督)体験でした。

後に「STARWARS」にもハマりましたが、中学の時の「E.T.」は2回も映画館に行き、高校の時の「GREMLiNS」で、スピルバーグが大好きな事を再確認しました。

もちろん「ALIEN」も大好きで、プロップを持っていたくらいですよ。

ワーナーの方に聞いた事がありますが、「GREMLiNS」の新作は、どうも作る事は決定しているらしいのですが、かなり極秘で進めるらしく、身内でも公開発表まで知らないそうです。
個人的には、CGではなく、プロップを希望します!

※プロップ……映画で使われる小道具を指します。単純に云えばCGで作ったキャラじゃなくて、実際に着ぐるみや縫いぐるみなど実質的な物を使用して撮影する事って云えば分かり易いでしょうか?
代表例だと「STARWARS」のエピソード1~3がCGで、エピソード4~6がプロップです。







● もう一つ。ブランドのモチーフでは可成り「ROCK」に関わるものが多くリリースされております。

世界中で「ROCK」が好きじゃなくともモチーフに使うブランドも多かったりするので、実際には危険且つナイーブな題材だったりもします。

大嶺さんは本当に好きだからこそ、デザインに落とし込んでいると思いますが、実際に自身に大きな影響(デザインと云う意味で無く、活動の全体を通してって意味です)を与えてくれたミュージシャン/バンドを教えて貰えますか?





子供の頃、沖縄のTVは「民放2局/NHK2局」だけでしたが、なんとアメリカ・チャンネル(軍用)も入ったので、MTVにかじりつき、「Michael」や「Prince」にハマってましたね。

当時、UKブームもあり「DURAN DURAN」「Culture CLUB」など色々とハマりましたが「Band Aid」をピークに急激に失速しました。それでも、大人になり「Warszawa」と云うレコード屋さん主催の「Warszawa Night」というCLUBイベントにハマり、再びUKのマイブームが来ました。

ブランドのスタート時期が「oasis」「blur」などと重なっていて、UKばかり聴いていましたね。
その後たまたまLIVEを観た「Radiohead」にハマってしまい、翌日「エレピ(エレクトリックピアノ)」を衝動買いした程です。もちろん弾けませんが(笑)

それ以降は、「Radiohead」を超えるものがないですね。「Radiohead」しか聴いてない時期があった位です。







● 大嶺さんは沖縄生まれとの事ですが、僕自身も年齢を重ねたら県民性ってのが存在するとハッキリと分かってきました。僕自身に当て嵌まるとは思ってませんが(笑)

自身が産まれた土地の影響って、大嶺さんは有ると思いますか?
あと、大嶺さん今度「沖縄旅行」を企画して下さい。行く切っ掛けになるので。





小学校に入学するタイミングで沖縄は日本に復帰したので、それまで$(ドル)を使っていて、きっと記憶している最後の世代かと。

私がキャラクターを好きな理由は、沖縄にあると思います。
「ミッキーマウス」や「フィリックス」etcに身近に接していて、東京に来てから気付いた事ですが、地元に帰省した時、国道58号線沿いの歯科や食べ物屋、お土産屋さんなどの看板が、キャラクター(オリジナル)だらけで、びっくりしました。きっとルーツですね。

ただ、私も遠藤さんと同じですが、ルーズでいい加減な沖縄タイムな県民性は、当て嵌りません!







● 2006年に新たなブランド「Enhance Element:エンハンス エレメント」をスタートさせました。

基本的に「OVER THE STRIPES」自体、コレクション形式でリリースしてる現在ですが、実際にコンセプト的なものは掲げないで展開してると、以前にお逢いした時もおっしゃっていました。

なので有る意味では分ける必要性も無いのか?とも云える訳ですが、何故「別の名義」でスタートする事になったのですか?

切っ掛けや理由を教えて下さい。





スタートして10年が近づいた時期に着たい物の幅が広がり、単純に歳を取ったのかもしれませんが、もう少し大人っぽい物も着たくなったんです。

セットアップや、落ち着いた色などを「OVER THE STRIPESとしてこなそうと思うと、中途半端というか、消化不良的な感じが起きてしまい…。

OVER THE STRIPESを変えるとブレるので、一層の事「別名義」で表現すれば、その時々で新しい表現が出来る気がして。そのタイミングがたまたま10周年でした。







● ブランドをスタートしてから、もう可成りの年月が経ちました。実際に同時期にスタートしたブランドも活動停止してるのも多い筈です。

コレだけの長い年月を続けられた理由は一概に「購入者が途絶えない」だけでは無いと思います。

当然ながら90年代と違い、近年は洋服の価値観が変わっており、制作する側や販売する側含めて、本当に節目になる様な時代だと思います。

現状での『モチベーションって何だ?』と、改めて考えたりした事って有りますか?





あの裏原ブームの時(時期的には第一世代かと思います)周りは昔からの仲間がコラボして盛り上がっている感じがありましたが、私はたまたま卸し先が裏原宿のエリアだっただけなので、コラボ的な事も無く、全く別な立ち位置でした。
事務所も、原宿からは少し離れた方が落ち着くかと思い代官山にしました。

高校生の時にDCブームを体感して、衰退した状況も見ていたので、裏原ブームもそんなに続かないと思っていました。

周りは、どんどんスタッフが増えて会社も大きくなって行きましたが、私は正直あまり大きくしたいとは思っていなかったので、その時、無理をしなかった事も良かったんじゃないかと思います。

モチベーション的には、いつも周りの取り引き先の方や、支持して貰っている方に喜んで頂ける事が1番です。







● 僕は展示会でもお伝えしてましたが、2つのブランドでサイズバランスが本当に素晴らしいと思っています。

流行問わず、サイズを広く(実際にサイズスペックと云う意味で)展開してるのは本当に素晴らしいと思います。

勿論、昔からのファンが体系が変わってきたのも有るでしょうし、海外での展開も有るので、その辺も含まれているでしょうが、それでも以前から小さいサイズから本当に大きなサイズまで幅広く展開していたと思います。可成り珍しいです。

その辺はどういった理由だったりするのでしょうか?





そうですね。あまり考えた事が無かったんですが、当初のサイズは、レディースがXSのワンサイズ、メンズがMとLのみでした。

自分基準のLサイズが大きかった為、Mも大きくなり、XSとMの間を希望される方が増えてSが出来て、Lで厳しい方の為にXLを作った感じなので、この事も自然な流れで広がった感じですね。







● 先程の質問でも書いてますが、海外での展開についての質問です。

県民性以上に、国が違えば食べ物/着る物/喋る言葉も違います。

海外の方と日本の方のブランドに対して注目されてる部分は、どういった違いを感じますか?





物作りにあたり、何かっぽい物にならない様に「他に無い面白い物」「着た時にテンションの上がる服」を作れれば良いな、と思っています。

海外の方はバイヤーさんとしか接しておりませんが、自分が良いと思えば、単純に反応して貰えます。自分が良いと思った物はユーザーにも理解して貰える、お店自体がブランドという自信からなのかも知れません。

日本では、ブランドのイメージが先にきている感じ(※アイテムのデザインでは無くブランドネーム力が大事って意味だと思います)がします。なので、単純にその商品を気に入って貰えると嬉しいです。

日本の場合ですが、某有名百貨店の方に『御社のブランドのお友達はどのブランドですか?お友達が分からないので、他ブランドとのコーディネートの提案が難しい』と言われた事がありましたが、私の目指す「何かっぽく無い」に近づけたと感じました(笑)







● 僕も最近テレビで大嶺さんが手掛ける洋服を見かけたばかりです。それは大好きな「笑福亭鶴瓶」さんが着用してました。 以前から本当にスタイリストさんのセンスも有るでしょうが、「着こなす」と云う言葉がピッタリの洋服に愛されている表情や佇まい、体系の方だと思います。

この辺の「タレントさんが着用してる事」は、デザイナーが自ら語る事は売名行為と思われる危惧も有るので、控える方が多いと思います。

ですが、僕は凄い良い切っ掛けだと思います。

そういった自分の好きな著名人(タレントやミュージシャン)が着用してるアイテムを着たいと思うのは普通だし、それによってセンスも広がる機会になってると思うので。

実際に目や感覚の肥えた優れた方が評価してる訳で、自慢すべき事だと思います。

もし問題なければ、話せる範囲で良いのでどんな方が展示会やお店に遊びに来てくれてるか教えて貰えますか?





先にお話しされている様に、難しい質問ですね。
鶴瓶さんは、テレビ番組の「A-Studio」で槇原敬之さんがゲストの時に取材に来て頂き、その際、取材より自身の買い物メインになり、スタッフの方にもプレゼントしていました(笑)

自分から『俺が広告塔や!』と公言して頂き、本当に今でも頻繁に来て頂いているので嬉しい限りです。

槇原敬之さんは、面白い事に以前に勤めていた会社のブランドのお客様で、当時の店長からは『また沢山買って頂きました』との報告を聞いていました。

独立した後、たまたま共通の知り合いのヘアメイクさんが着ていたところ、気に入って頂き、お会いした際に独立する前の事を聞かれ、前のブランドの話をすると『やっぱり!好きな理由が分かった!!』と話して頂き嬉しかったですね。

後に「セレブレーション」というLIVEの衣装デザインを担当した際は感無量でした!

鈴木一真さんも知り合う前から毎年雑誌で、好きな物として紹介して頂いていました。
カタログにも何度もモデルとして出て頂き、プライベートでも仲良くして貰っています。

この方達は、ご本人からも公表して頂いているので良いのですが、他に仲良くさせて頂いている方もおりますが、影響力が大き過ぎて、売名行為と言うより、その方に迷惑がかかるといけなかったり、プライベートで来て頂いているので、これ以上は申し訳ありません。







● 長くなりましたが、そろそろ最後になります。

今季から初めて知って興味を持ってくれる方も、全国で可成り多い筈です。

そんな新しいお客様にメッセージを頂けますか?

そして、長年購入してる方も今後、僕らのお店でお買い物して貰えるかもしれません。

そんな昔からのお客様にもメッセージを。





人も洋服も「first impression」が大切で、出会いだと思います。

毎シーズン色々な方の目に触れ、出会って貰えると嬉しいです。







● 今回は有り難う御座いました。まだ一度しかお逢いしてませんが、2時間と云う短い東京滞在時間が許す限り(笑)先日は事務所でお話させて貰いました。

僕の印象は実際に僕のお店や御利用して下さるお客様の印象にも近いと思います。

どういった印象を持ちましたか?そしてインタビューを終えた感想も是非。





遠藤さんとの2時間が「あっという間」でしたね。嵐の様な勢いでした(笑)

当然ですが、遠藤さんも長くお店を継続されている理由が有り、会ってみて分かった事が、

とても「CLEVER」な人だと思いました。

もちろん勢いもありますが、それだけではない成功する為の行動力など、私が会った事の無いタイプの人ですね。







● 有り難う御座いました。これからも末永く宜しくお願い致します。




この様なアプローチをさせて頂ける事も異例で、有り難いです。

今後がとても楽しみです。

こちらこそ、末永く宜しくお願い致します。